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あなたは「自然言語にwell definedを求めるな」の意味を誠実に解釈できているか?

問題提起

そこそこ有名な「自然言語にwell-definedを求めるな。」という文がある。 X (ex-Twitter) ではこの文に様々な意見がついている。

この文の形式(=つまり文そのもの)について議論することは一定程度可能だと思う。 しかしこの文の意味する主張の妥当性についてあなたが議論しようとするとき、私はあなたが正しくこの文を解釈できているのか問いたい。 文の中には文脈(context)、違う言い方をすればその文を取り巻く環境(environment)への明示的・暗黙的な参照(reference)が散りばめられており、文章を解釈するためにはこれを正しく参照解決(dereference)してやらねばならない。

あなたはこの文が発せられた当初のコンテキストを、あるいはその出来事を記憶している人々が発するこの言葉のコンテキストを調べずにこの文の意味を断定しようとはしていないか?その状態で解釈された文の意味は字義通り全くナンセンスである可能性がある。ナンセンスを以って意味解釈したと主張するのは全く誠実ではない。 たしかに文は文だけを見ていれば分かる。しかし文の意味は文だけを見ていてわかるとは限らない。

私はうっかりこの文の意味に対してネットで意見を言いたくなってしまった。 誠実な人間であるために、この文の意味を解釈するための文脈を探しに行かねばならない。

ネット上での初出時

Xにおいて 「自然言語 well-defined until: XXXX-XX-XX」で日付を変えながら検索を掛けていく。するとこの文は2016年7月頃がX上での初出なようだとわかる。 さらに2016年12月にはこの文に対する言及が一気に増加している。

どうやらトイレの張り紙に書かれている落書きが面白がられていたようであり、その内容は以下のようなものであった。

  • 張り紙
    • トイレの紙以外を便器に流さぬように命令するもの
  • それに対して付く複数の落書き
    • 大便を流せないのは困るという主張
    • 大便は流すようにという指示
    • 小便はどうなのかという問い
    • 自然言語にwell-definedを求めるな」という件の文

この文自体はこの時期より前に誰かが口にした文かもしれないが、少なくともネットで広まったのはこのあたりからなようであった。

張り紙から読み取れるこの文の文脈と文意

文脈から察するに、この文はユーモアとして書かれている。 ユーモアの内容としては以下のとおりである

1. 掲示に対して、あえてぎこちない意味解釈をした結果に基づく誤った内容の命令に基づき、それへの不満を言う者が現れる
  冗談の文脈における粗忽な人物の役周りでもあるし、あるいはなんらかの規則から少しも融通を利かせられない杓子定規な人物を演じている
2. それに対して、問答があり、さらに新たに粗忽な人物が現れる
3. このようなお茶面なやり取りに対し、唐突に「自然言語に well definedを求めるな」というツッコミが入る
  おそらくは「自然言語の解釈が一意に定まると思うな」の意味のツッコミである
  さらに、その内容が下ネタの冗談の文脈に似つかわしくないやけに学術然とした語彙を用いて主張されているところにおかしみがある

冗談の下げとして敢えてawkwardな用語法で「自然言語の意味解釈が一意に定まると思うな」と言っているわけである。

まだまだ背景調査をやめてはいけない

ここで調査をやめては問屋が卸さない。

通常、冗談が成立するには冗談を述べた物とそれを聞くものとの間でおかしみのポイントが共有できていなければならない。 「自然言語に well defined を求めるな」の「自然言語」と「well defined」は awkwardnessを掻き立てるための単語チョイスである。しかし「自然言語」と「well-defined」はいささか平均的な市民を聴衆に想定して笑いが取れるにはあまりにも世間に流通していない言葉ではなかろうか。この張り紙が張られている場所や、あるいは最初にバズが広まった人々は、この言葉を使っておかしみの共有が可能なコミュニティなのではなかろうか。

場所や集団についての負荷情報を得るためにさらなる検索をする。 「トイレ 張り紙 well-defined」などでgoogle 検索を行うと、この張り紙は京都大学理学研究科6号館のトイレに貼ってあったという情報がいくつか見つかる。 そこで当該の施設の情報を公式webページで確認してみると、化学系と数学系の学生がいる建物だということが分かった。 このうち「自然言語」や「well-defined」などという言葉を頻用するのは数学系の学生の方であろう。 とすると、当該の文は数学系の京大学生が学舎の中のトイレの張り紙に内輪ネタのいたずらとして書いた冗談である可能性が高い。

しかし、そんな些細なサイドストーリーを細かくほじくり返すことが文意の考察に活きることなどあるのだろうか?

ある。

ぎこちなさ部分の考察

この冗談はそこが数学科のトイレであるということをおかしみの舞台装置として活用しているのではないだろうかと考えることができる。

「なんらかの規則から少しも融通を利かせられない杓子定規な人物を演じる」ことのリアリティとして、日常の文意解釈においてまで公理主義を内面化した架空の数学徒が想定できる。 「下の冗談の文脈に似つかわしくないやけに学術然とした語彙を用いてツッコまれる」ことに対しても、そこが理論系の研究施設であるということ背景を踏まえたネタかもしれない。

書き手はここら辺のおかしみを最大限伝える目的1で、「「自然言語」に「well-defined」を求めるな」という、自分で思いついたか、あるいは既に耳にしていたこの文をここに書きつけたのだろう。

単語の意味を「数学科」の文脈で推測する

さらに、選択されたぎこちない単語についても見ていきたい。

自然言語

自然言語」という言葉に皆さんは聞きなじみがどれくらいあるだろうか?日常生活ではあまり聞かれない言葉である。というのも、通常単に「言語」といえば我々が話す日本語や英語のような言葉のほかは中々なく、「言語」という言葉にことさらに修飾を必要としないからである。 あえて「自然言語」という言葉を使う必要があるのは日常の意味ではない「言語」が出てくるコミュニティだ。

そのようなコミュニティの一つにはIT界隈がある。IT界隈ではプログラムを書くときに「プログラミング言語」を用いる。プログラムだけではなく、幅広くデータを定義するための言語をまとめて「工学言語」「人工言語」などと呼ぶ向きもある。ここら辺の対概念として、日本語や英語などを「自然言語」と呼ぶことがある。

別のコミュニティとしては創作言語界隈がある。これは創作物として人が話すような言語を作る趣味であり、有名どころだとトールキンの「指輪物語」という架空の世界を舞台とした小説がある。「指輪物語」には架空の種族、架空の地域、架空の歴史、架空の神話と共に架空の言語が出てくる。日本語圏で言語創作活動をする人の中には、創作者が考案した言語を「人工言語」と呼び、その対概念として日本語や英語などを「自然言語」と呼ぶ人もいる。

数学コミュニティにおいても「自然」とわざわざ修飾を付けたくなる理由がある。 数学では数式なども「言語」と呼びうるのだ。 5+4sin(x) + 6 * 7 などの数式を言語、特に文法や文の意味が人間により明確に明文定義されている言語という意味で「人工言語」「形式言語」などという。この対概念としてやはり日本語や英語などを「自然言語」と呼ぶ。 このうち、数式やプログラミング言語形式論理学などの「人工言語」は一定程度通ずるところがある。

件の冗談が数学科文化圏内で放たれたのだとすれば、「自然言語にwell definedを求めるな」の「自然言語」というawkwardな言葉遣いは、「形式言語ではなく、自然言語の方に」という対比の含みを持ちうるわけである。

「well-defined」

もう一方の珍奇な言葉である「well-defined」も数学でよく使われる概念である。 字面通り読めば「うまく定義されている」だが、数学ではさらに限定して以下のようないくつかのシーンでよく使われる。

「well-defined」の使われるシーン1

x と書き表される値と、 y と書き表される値が集合Aに属している。実はxyは同じ値である。(同じ値だが、書き方が複数通りある。) いま、 Aを定義域とする写像fを定義しようとしている。横着をして、Aの値のなんらかの表記上の特徴に基づいて写像fを定義するつもりだ。 しかしちょっと考えてほしい。もし字面上xyが異なるからと言って、f(x)f(y)が異なる値になってしまったりはしないだろうか? xyは同じ値なのだから、f(x)f(y)が違う値であるのだとしたらそんなfは定義からしてぶっ壊れている。2 この状態を ill-defined と呼ぶ。 対して同じ値の表記違いについてはfが同じ値を返してくればこの状態を well-defined と呼ぶ。

ちょっとわかりづらいので具体例を挙げる。 自然数を下一桁だけに注目してグループ分けしたいとする。 たとえば下一桁が3の自然数だけ集めたい。{3, 13, 23, 33, 64413, 618698638663, ... }などなどである。こういう集合を短く書くのに便利な書き表し方が欲しい。そこである自然数 n に対して、 n の下一桁と同じ下一桁を持つ自然数全体の集合を 〆nと表すことにする。例えば 〆27 というのは 74778975987249564378697 などが属している集合である。

このような集合に対してさらに変形を加えるような関数 g を定義したくなったとする。 g は、 〆n〆(nを4で割ったあまり) に変換する。 たとえば g(〆7) = 〆3 であり g(〆9) = 〆1 である。

明快でわかりやすい関数定義...かと思いきや、これは関数になっていない。

上の定義に従うとg(〆5) = 〆1 であり、なおかつ g(〆15) = 〆3 である。

〆n の定義からして、〆5は「下一桁が5と同じ自然数の集合」である。また 〆15 は「下一桁が、15の下一桁と同じになる自然数の集合」であるが、15の下一桁は5であるから結局 〆5と同じく「下一桁が5と同じ自然数の集合」なのである。 一方〆1〆3は当然異なる。 〆5 = 〆15 なのに、 g(〆5) ≠ g(〆15) になっているようではgは関数とはみなせない訳だ。

このような状況の時に関係gは関数としてwell-definedではなかったと表現される。

「well-defined」の使われるシーン2

関数fを、自然数に対して、下一桁目が最初の数の下一桁と一致するまで1回以上2倍していき、一致したときの数を返す関数として定義する。

たとえば f(4) の場合、 4 -> 8 -> 16 -> 32 -> 64 となり、 64の下一桁は4と一致するので f(4) = 64 である。 ... と、これも実は関数として定義できていない。

f(5) の場合、 5 -> 10 -> 20 ->40 -> 80 -> 160 -> 320 -> 640 -> 1280 -> ... となり、下一桁が5に戻ってくることは二度とない。

このような場合も well-definedではない。

自然言語」と「well-defined」のつながりは?

数学界隈における自然概念の対概念となる「形式言語」の方では、「文法の形式的定義」と「意味の形式的定義」が行われるという話をした。形式言語形式意味論周りの議論ではよくwell-definednessの検証が行われる()。

文とはいわば意味に対する表記法である。 形式言語理論では、ある言語の文を違う言語の文に翻訳したり、ある文をもとに違う文を生成して、意味上での齟齬が発生しないようにするところに関心が置かれることがある。 つまり実際の値(=意味)を気にしつつ表記法(=文)に対する操作を施したり、文を解釈した結果値が存在しないことなどに気を払う機会が多いのかもしれない。

この点を踏まえると、「自然言語にwell-definedを求めるな」は、想像しうる複数の意味のうち「形式言語のwell-definedness議論」との対比としての「自然言語」とみなすのが一番自然じゃなかろうか。 既存の形式言語は、意味についてより議論しやすい別言語への変形だったり、その文が成立しうる世界の状況の集合を定義することだったりによる意味定義がきちんと定まるように気を遣われて、なおかつ文法や語義も数学操作による形式的な明文定義を Single Source of Truth として作られている。

一方、自然言語においては、語義や文意というのは誰かが明文的に形式的に定義してその明文規則を改定するまでは一切揺るがない、というものではない。多くの人々の普段の語用の積み重ねの結果少しづつ意味の合意が変わっていくこともある。 辞書による定義もその状態の語義や文意を使って相互参照により定義されているのであるから既存の形式言語形式意味論的なwell-definednessとはどだい異なる。 不磨の大典を引っ張り出しそこから項書き換え的に形式的式変形をしていくと、与えられた文章の意味がどれか一つのmathematical objectに参照透過的に定まるという世界ではない。

翻って杓子定規にぎこちない意味解釈にこだわるネタを見るに、「自然言語にwell-definedを求めるな」というツッコミが成立するわけである。

以上の話を踏まえた「自然言語にwell-definedを求めるな」の最終的な文脈

  1. ここは数学科である
  2. 掲示に対して、あえてぎこちない意味解釈をした結果に基づく誤った内容の命令に基づき、それへの不満を言う者が現れる
    • 冗談の文脈における粗忽な人物の役周りでもあるし、あるいはなんらかの規則から少しも融通を利かせられない杓子定規な人物を演じている
      • これは研究対象である公理主義的な学問を私生活にも過剰に援用したデフォルメされた数学徒キャラである。
  3. それに対して問答があり、さらに新たに粗忽な人物が現れる
  4. このようなお茶面なやり取りに対し、唐突に「自然言語に well definedを求めるな」というツッコミが入る
    • これは数学・形式言語界隈を特徴づけるような語句選択であり、おかしみがある
      • 形式言語の議論が前提に踏まえられていて、そこと対比して、数式や論理式・プログラミング言語といった形式言語に対する既存の取扱のような意味解釈を自然言語にも試みようとする先ネタたちに対して、たしなめる形式でツッコミを入れている
    • さらに、その内容が下ネタの冗談の文脈に似つかわしくないやけに学術然とした語彙を用いて主張されているところにおかしみがある
      • これも、大学の中の理論系学科という文脈が裏に潜んでいる

まとめ

文脈把握大事

ここまで書いてすっかり疲れてしまった。 上で書いた内容のうち、どこまでが文脈に属するところで、どこからが文意に属するところかを峻別する労苦を払う元気はもうない。 ただ、この文脈なしで「自然言語にwell-definedを求めるな」という文を読んだところで、少なくともオリジナルと同じ文意を込めて主張している人々の文意を理解することが一体どれほどできるというのであろうかという問いを持っている。「自然言語」が「何でないもの」として定義された語なのかは多義だし、「well-defined」がどういう意味に定義された語なのかだって数学側の事情を知らないと掴みにくかろうし、「自然言語にwell-definedを求める」の意味だってこれが形式言語の意味論との対比だと気づかなければ明後日の方向に解釈してしまうのではなかろうか。

ここら辺の文脈は部外者の僕がちょっと調べてわかるような話であったから、これに言及している人の間では少なくとも文脈としてはある程度知られているものだと思っていた。しかし、Xを見漁った感じここの経緯を調べずに、ただこの20文字程度のみを睨みつけることによって、これを述べた人々が何を意味していたのかを浮かび上がらせようとしていそうな人も多かった。

文が何かであるか、なんのために人々が文を表明するかについてはいろいろな観点がありそうだが、少なくとも他人が意味を伝達するために文を発する局面では、意味があり、その文を発する動機があり、人の営みや思考・感情・行動・出来事と分かちがたい領域もあるはずだ。 そこを敢えて扱わず問題をシンプルに保つという取り組みもあると思うが、何を扱わないことに決めて理想化・モデル化・脱現実化したのかは意識の中においておく、つまり、その点において自分の考察は現実とずれうる余地があるのだということを覚えつつ作業を進めていく必要はありそうだ。

みんなどんどん文脈解説を書こう

僕がこの記事で書いた話はこの話に言及している人は全員知っていると思っている人もいるかもしれない。 ところがどっこい、案外そうでもない。 自分にとって興味がないところだったり、どうでもいいところだったりする箇所に対して人間はどうしても適当な調査しかせず、その結果全然的外れなことを言ったり、よくない手を打ってしまったりしがちだ。 自分が興味ある事は他の人が全然興味なくて調べてないことだったりするんだから、自分たちの領域を守るためにも、世間の人たちを助けるためにも、積極的にいろんな解説を書いていこう。


  1. 「目的で」とか「意図で」というのは大袈裟な言い方かもしれない。「ここら辺の知識があることで自動思考が走って表現のpreference順位が定まりこの文が算出された。」くらいであったらまああり得た話であろうと思っており、それをどれだけ脳内で言語化してどれくらい意識的に文を産出したかについては特に強い推定の意図はない。 Xのこのスレッドで違う出来事への感想を述べているときにこの記事のこの箇所の表現にdisclaimerをつけたくなった。
  2. もう少ししっかりした物言いが聴きたい方は Wikipediaの「関数」の形式的定義)を参照されたい。

ゆーちき(yuchiki1000yen)の自己紹介 ver. 2023-01

まわりで自己紹介ブーム(?)があったのでここにおいときます

おいたち

うまれ

平成ヒトケタに関東平野の真ん中で生まれました。

そだち

自分の家はそんなに景気の良い方ではありませんでした。母が家計を支えに勤めに出ている間は祖父母の家に預かってもらってのびのびと育ちました。

山登りにつれていかれたり、自然公園でランチをしたり、ふるさとの祭りに引き出されたり、いろいろな経験をさせてもらいました。 家の中のことでも、小さい頃からお茶汲み、客あしらい、料理洗濯の手伝いなどをさせてもらっていたおかげで、大人になってから暮らしの力の面で随分と助かっているように感じます。

親しく付き合う親戚があちこちにいます。横須賀だったり、川崎だったり、両毛地方だったり。家の事情が苦しい時も親戚に助けてもらって自分で稼げるようになるまではなんとか育ててもらいました。 親父がいた頃は親父の友人や同僚にもよく可愛がってもらいました。触れ合った大人には畑をやる人、山をやる人、工業、事務、研究職、商店、さまざまな職種の人がいます。かわいがってくれる大人たちの背中を見て、時にだらけつ時にはたらきつ社会と家族を支える大人の世界を夢見ていました。

べんきょう

情報系の学部を出ました。言語学や、論理学にも興味があり、いろいろ本を読んだり講義に出たりしてきました。

いまのみぶん

かぞく

妻がいます。妻は頑張り屋で何事にも馬力があります。妻を見ていると自分も怠けてはいられぬという気持ちが湧いてきます。

しごと

IT職についています。

ひととなり

好み全般

伝統的で落ち着いた暮らしが好きです。白菜のつけものだったりぬかづけだったりを家でおいしくつけています。冬ははんてんを羽織って生姜湯を飲んで温まります。 畳の上で寝っ転がって読書をしたり昼寝をしたりするのが好きです。 のんびりした生き方をしたいのですが、どうにもやりたいことや趣味が多くて忙しく時間を管理してなんとか生活を回しています。

美的好み

暗めの木の色が温かみと落ち着きがあって好きなので、家の中は深い色の木の家具で概ね揃えています。

レトロ趣味はないのですがデフォルトでものの好みが古いようです。 この間、短い長方形の柱時計を居間にかけたくネットショップを探したのですが、レトロの文脈がついた仰々しい高価なものだったり、鐘が電子音のものばかり売られていて驚きました。 もはや誰も普通の柱時計買わないのかな...

落ち着いていて、重々しくなくて、それでいて品の良い感じのファッションが好きです。 ファッション誌で言ったら Men's Fudgeとかの、欧風で伝統的だけどカジュアルな感じを好みます。

食べ物の好み

  • しょっぱくて複雑な味がするおかずが好きです
  • 麦ご飯派です。お米よりも食べでがあって美味しく感じます
  • 焼き魚が好きです。お肉もおいしいけれど毎日食べたいというほどではないです
  • 漬物が好きで、ぬかづけだったり白菜漬けを自宅で作っています
  • お酒が好きです。ワインと日本酒と焼酎とウィスキー、ビールをよく口にします。ウィスキーはアイラかジャパニーズ、ビールはIPAを飲みつけています

音楽の好み

幅広く聞きます

あたりを聞き流しながら家事をしていることが多いです

ことば

日本語

  • 共通語
    • 仕事で使います
    • 計算科学の分野の学科を出てITの企業にいるので、専門に近い領域になるにつれカタカナが多く混じってルー大柴みたいな喋り方になってしまいます。
  • 首都圏口語
    • 友人や同輩たちと会話するのに使います
    • 聞く
      • 友人たちの多くは首都圏新方言をベースにした喋り方をしているので、全く違和感なく理解できます。
      • テレビの影響か、他地方から見えた友人たちも若い人は割りかし首都圏口語的な喋り方をしているように聞こえます。
    • 話す
      • 自分が喋る分には両毛方言の干渉があり、ときたまイントネーションだったり語彙・語尾の選択を間違えます
      • 初対面の人と気をつけて喋っている分には綺麗な首都圏口語を喋っているように聞こえているはず
  • 両毛方言(主に足利〜桐生)
    • 家族と親戚の言葉、友人づきあいなどの影響で、家庭では概ね両毛あたりのやや伝統的な言葉遣いをしていると思います。

英語

  • 技術文章が読めるくらい

価値観

幸せと成長・貢献を重視

世間の幸せに貢献すること、自分の身の回りの人間の幸せに貢献すること、自分が幸せになることを最も重視しています。 自己成長というと大袈裟ですが、自分のできることが増えていくことへの喜びも重んじています。 「祈りとは目の前のやるべきことで手を動かすことだ」の言葉に共感し、あれこれ心で思うだけではなく、また、必ずしも寄付や同情をすることのみではなく、日々の仕事を全うすることを通じて社会の幸せに貢献すしたく思っています。

革新的だったり伝統的だったり

政治的な争点になるような箇所においては、さまざまな倫理観のうち新しめの方の意識を持っているように思っています。例えばジェンダーや家族にまつわる制度設計などについては、社会研究や技術研究の力により、その時々でよりよい社会制度を取っていけば良いのではないかと思っています。 一方、人に義理を果たして助け合っていくだとか、ある程度は仕事や勉強に励み折り目正しく生活して充実した人生を送るだとかも重視していて、総合すると人生観はわりかし古めの塩梅に落ち着くのかもしれません。

さまざまなことを経験したい

世の中のいろいろな物事を実体験したり学んだりして自分の見識を高めることに重きを置いており、いたずらに倹約するよりかはむしろお金を払ってでも必要な経験をしていこうと思っています。 街に出るとか、自然と触れ合うとか、コンサートやイベントを見にいくとか、なんでもしていきたいです。

相対主義

比較的相対主義の気持ちの強い人間で、究極的な価値観の正しさなどを図る尺度はこの世にないと考えています。 その人当人の好みとして人それぞれ達成したい大目標や嗜好などがあり、それが人々の間で共通している部分もあり、異なっている部分もあるとの認識です。 例えば平穏な暮らしを尊ぶ人、出世や社会へ大きな影響を与えることを望む人、芸術・スポーツ・研究の道を追求したい人など、その間で優劣をどうしてつけらりょうかと思っています。

一方、世の中には特に目標や好みを持っていない人もいるはずです。 「この人のやりたいことは自分と違うかもしれない」までは気が回っても「この人は特にやりたいことや物事の好みを持っていないかもしれない」までは気が回らないことがあります。

技術・能力としてのコミュニケーションを重視

私は「他人に瑕疵や誤謬がある場合には、相手の誤りを端的に指摘することが重要なのであってその主張のトーンであったり礼儀正しさなどは無視して良い」などと言った主張とは違った見方をしています。

人が他人に何かを伝えるときは、多くの場合その情報伝達によって何らかの目的を達成したいのだと思います。 たとえば「自分が情報を提供することによって、相手の行動を変容させたい」などの目的があるとします。相手が「言われたことの真偽を機械的に評価し、それが正しく、自分が間違っていれば自分の知識セット、行動パターンを更新する」ような存在であれば、事実のみを突きつける行為は合目的的だと思います。でも世の中そんな人ばかりではありません。どうしても自分の行動や言説への批判は耳に逆らうものだと思います。自分の咎をあげつらわれてムッとすることだってあると思います。世間には「合理的な指摘を入れたのに相手が聞き入れない」と憤る向きもありますが、人間に干渉する以上は人間の特性まで織り込んで目的を果たせそうな物言いをすることが真に合理的なのだと思っています。

人と繋がること

人間は一人では生きがたいと思っています。 自分がプライベートで多くの人と支え合って生きてきたからかもしれません。でも、たとえ公のやりとりが多い人であっても、お金を払って何かをしてもらったり売ってもらったりする時にこちら側の目的や事情を話してより適したオプションを見繕ってもらったり、この買い物で問題ないかを店員に相談したり、あるいは仕事をするにしても、他人と融通を利かせあって作業を進めた方がよい場面も多いんじゃなかろうかと想像しています。なんだかんだ気の遣いあいというか、お互い助け合うことで社会は回っているのだと思っています。

人生を仕組み化していったら結婚できた件

この記事は妻にレビューしてもらっています。

概要

この春結婚しました。 我々二人の生活は、多くの仕組み化・組織化を実行しているという点でかなり変である、ユニークだと思います。この記事では我々が導入している仕組み化を紹介していきたいと思います。

経緯

妻とは一年ほど前から人生をよりよく生きるためのアドバイスをし合う朋友・盟友的関係を築いていました。 お互いの人生には課題が山積しており、それを抜本的に改善する必要があったのです。 そのために我々は仕組みの力に頼ろうと、さまざまな人生の仕組み化を図りました。 改革は功を奏し、我々の抱えていた諸問題は対処可能になっていきました。 また、お互いの課題解決的なコミュニケーションが大いに促進され、相互理解が深まっていきました。 我々の協力関係が実り多いものであることを深く確信した我々は、お互いの人生に貢献したい、二人三脚でこの人生を楽しんでいきたい、一緒のチームメンバーとして私生活というプロジェクトを回していきたいという気持ちから、お互いを一生の伴侶とすることを決断し、この度婚姻届を提出いたしました。

前置き

このような手法が我々にうまく適合したのは、以下の我々固有の要素が大きいと思います。

  • 人生をガチガチに分析的・合理的にコントロールすることへの抵抗が薄い
  • 今までの生き方では解決できない(近い将来に破綻してしまうであろう)人生上の困難を抱えており、強力なツールを用いて解決する必要があった
  • 二人ともITエンジニアであり、プロジェクトの管理手法として業務で近い手法を用いていた。

このようなケースに当てはまる二人でない限り、以下で述べるような手法を私生活に取り入れることには不快感が伴うかもしれません。 あくまで特殊ケースの一つとして捉えていただければ幸いです。

我々が抱えていた問題

以下の問題は、我々が手を結ぶ前に、少なくとも一人以上が抱えていた問題です。

  • 金銭計画が大いに問題があった
    • 収入・出費などが把握し切れておらず、赤字傾向なのか黒字傾向なのかも把握できていなかった(実際赤字傾向であることが判明し、改善を行った)
  • 体重推移に問題があった
    • 体重のログがとられておらず、傾向の推移が把握できていなかった
  • ガムシャラに色々な分野に憧れていたが、どれも中途半端になってしまい身についていなかった
  • 今まで何の分野で活動してきて、どういう能力・実績があるのかのログがとられておらず、成長しているのか、しているとしたらどの分野が成長しているのか実感が得にくかった
  • 私生活の予定の量の管理ができず、忙しい時期と暇な時期が存在していた
  • 私生活における1年〜3年スパンの計画が立っていなかった

導入していった管理手法

これらの問題を解決、あるいは少なくとも管理可能にするために、我々は以下のような管理手法を導入していきました。

金銭管理のスプレッドシート管理化

当初解決すべき問題は金銭面でした。 特に妻は複数の収入源がある上で複数の支払いを別々のタイミングで抱えており、残高の推移が把握できていませんでした。 早急に解決すべき問題として、一番最初にスプレッドシートで入金・出金のタイミングを可視化していきました。

これにより、当面は問題がないことを確かめられたり、あるいは問題がある場合にはどうやりくりして対処するかを検討することができるようになりました。 この可視化によりマネーフローの改善には抜本的な解決が必要であることが判明し、家族などを巻き込んで現状を報告して現在のマネーフローを変更するなど、問題解決に向けた行動を起こすための我々の判断根拠にもなりました。

週例報告会(weekly sync)を設定

上記の金銭繰り計画を立案した後、当面のスケジュール管理と金銭管理が予定通り行われているかを管理し、そうでない場合は早めに検知して何らかの手を打つ必要がありました。 そこで google document に以下のような資料を作成し、毎週報告会をするようにしました。

以下は報告会のログです。

KPT実施

KPT とは、成功したことを記録し以降も継続できるようにし、まずかったことも記録し再発防止策、解決策などを考えるための枠組みです。

(参考:「いいね!」できるKPTをスプレッドシートで作る! - Qiita

これを上のweekly sync 時に毎回実行することで、起こったトラブルのロギングや、行った実績の簡易的な可視化を図るようにしました。

回数が増えていくにつれ、我々がこれだけ建設的な議論や相互理解を深めてきたのだという証拠にもなりました。

2人用discord 鯖作成

解決すべきトピックベースで議論をするために、複数チャンネルを管理できる2人用個人discord鯖は便利でした。 問題別にチャンネルを作り、各チャンネルに議論を蓄積させていきました。

個人JIRA導入

問題が洗い出されていき、やらなければいけないことが増えてくるにつれ、やるべきTODOの一覧・達成度・消化率などが把握しきれなくなってきました。 そこで、IT系でよく用いられているタスク管理ツールであるJIRAを導入し、毎週その週にやることを決めることにしました。

これによりタスクは一覧が可視化されるうえに、1週間でこなせる適切な粒度までブレイクダウンされることで計画の質が上がり、実行がしやすくなりました。

ガムシャラに頑張るのではなく、計画を立てて体系的にやるべきことをこなしていく癖を付けられたのではないかと思っています。

JIRAにはタスクと紐づいたロードマップ機能もあり、こちらも数か月単位での課題を管理するのに便利でした。

資料置き場をGROWIで作成

仕組み化や作成していくドキュメントが増えるにつれ、資料が探しにくくなっていきました。 ドキュメントの散逸を防ぐために資料管理ツールを導入しようと、growi を導入しました。

自前でAWS上にEC2インスタンスを立てて動かし、ストレージはmongoDB atlas というマネージドDBを用いています。

構造化されたドキュメント管理ツールは使いやすいです。

定例会再策定

ドキュメント管理体制が整ってきたところで、定期的に過去の決定振り返りをできるように、以下のように定例会を設計しなおしました。

たとえば以下のように四半期目標を立てたりしています。

家事Ops第一宣言

我々は趣味開発や勉強の進捗を家事より優先してしまう癖があるようでした。そこでそれを戒めるために「家事Ops第一宣言」を制定し、家事を回す重要さの程度について合意をし、基準に基づき問題がないかどうか判断できるようにしました。

以下は宣言の引用です。

# 意義

家事は重要である。家事が滞り、生活の質が下がっていくと、その他の活動の生産性全体が下がってしまう。
また、軽微な汚れなどを日常的に掃除するのはたやすいが、たまった汚れや散らかり切った部屋を片付けるのは容易ではない。

これらの2つの観点から、日常的に家事を継続し、家事破綻状態をそもそも発生させないことが重要なのである。よって以下の宣言を定める。

# 家事Ops第一宣言

1. 家事の遅滞があるときは、進捗や娯楽よりも優先して家事を行う。
2. 家事の優先順位は運動・プログラミング・勉強よりも高い。
3. 家事の劣化を放置して進捗を産むのは、コードベースやインフラの劣化を放置して新機能開発に工数を割くことに等しい。

# Opsスタンダード

家の中がどのような状態であればよいかここで定義する。


## 観点

### クリアランス

余計なものが場に出ている状態は以下の観点でよくない。
- 物が多いと散らかって見えて、見た目が劣化する
- 場に出ているものが多いと物品の在庫管理がしにくくなる
- 物がたくさんあると、その下の床や板が掃除しにくくなり、汚れが溜まりやすくなる
- 物が散在していると作業がしづらくなる

したがって、物を出しっぱなしにしてはいけない。

### 清掃

ゴミがなく、清潔に保たれなければならない。

### 収納

雑然と小物が入っている状態はよくない。小物が複数種類ある場合は小収納に分けて棚や押し入れにしまう。

## 具体的な基準

### クリアランス

####- 床に家具以外が直接置かれていてはいけない

#### 台所

- 洗剤・スポンジ入れ以外が上に直接出ていてはいけない

#### 流し

- 食器などが放置されていてはいけない
  - 例外: 三角コーナーはOK

#### テーブル

- 物が置かれていてはいけない


#### 玄関

- 靴が全てしまわれている

### 清掃

- 階段や廊下、居間・和室・洋室にほこりをためない
- 食器が洗わずに放置されていてはいけない
- 空き缶・紙パックなどは袋か正しい場所にしまわれている


### 収納

- すべてを雑に放り込んでいる収納がない
- 要らないものを捨てずに持っていてはいけない

短期で解決できない家事の問題点は github issues で管理

家事の問題のうち、時間や労力・金銭の面で短期的に解決できない、JIRAチケット化して取り組む元気もない問題は、とりあえずgithub issuesの形で管理することにしています。

まとめ

我々はかつて生活や学習面で大いに問題があり、我々の注意力だけで改善するのは不可能だと思い、様々な管理手法・管理の仕組みを導入しました。 これは必ずしも万人に適する方法ではないと思いますが(というかこんな私生活をしている人はあまりいないのではと思います。。。)、少なくとも我々の生活を改善するためには大いに役立ち、相互信頼を醸成するために有効でした。 これを読んだ人に対して何か有用な知見が供給できていれば幸いです。

足利両毛弁をリスニングしてもらう体験をしてみた

この記事は 言語学な人々 Advent Calendar 2022 アドベントカレンダーの一環です。

僭越ながら私もこのカレンダーに書くことにいたしました。(遅れてすみません...)

概要

  • 家族(栃木県足利市)の僕との会話を録音した短いフレーズを知人たちに聞いてもらい、文字起こししてもらうという体験をしたので、感想をしたためる
  • 音声は知人に共有することは家族に了承をとっているが、ネットに上げることまでは了承をとっていないので、ここには上げない

話者について

私の祖母の発話がほとんどだ。祖母は栃木県足利市出身だ。

足利市の位置

関東地方の中北部にある街であり、東京式アクセントの西関東方言を話す地域とみなされることが多い。隣接地域は無アクセント地帯である。

足利市の位置

聞き取り1ー1

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) もうだいぶ前だから
SY氏 もうだいぶ前だがなあ
SW氏 むたつまにゃあ敵わん
A氏 まあだいぶ前だから
M氏 ドイツ語で unter dem, meiner(en??) Rahm のような音の並びが聞こえたが、ひらがなにできない
K氏 も(う) だっdまい やから
H氏 もうだいぶ前だからなぁ
L氏 /dəŋmaeʁna:/
N氏 もうだって前だから
  • 「だいぶ」を聞き取れてない人がいる
    • 私には「ぶ」が閉鎖を開放していないように聞こえた
  • 「ら」を「な」で聞き取っている人がいる

聞き取り1-2

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) それで***(人名)が生まれたとき
SY氏 ***が生まれたとき
SW氏 ちょ***お前取ってきて
A氏 それ***が生まれたとき
M氏 ***が生まれたとき
K氏 そ(う) ***が生まれたとき
L氏 ***やんばいざどき
N氏 そう、***が生まれたとき
  • 文頭の「それで」
    • そもそも聞き落している人がいる
      • 人名の「***」が強く、その前の「それで」は弱く、早く発音されていたためか?
    • 「それで」の「で」を聞き取れている人が誰もいない。
      • 僕の耳で聞き返しても、確かに閉鎖していないで摩擦~狭めくらいに聞こえた。

聞き取り1-3

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者)  ***(人名)だって若いつもりでいるもん (笑いながら)
SY氏 ***若すぎる
SW氏 ***ドべそべろ
A氏 ***どべすべる
M氏 ***と若すぎる
K氏 ***と私だけでも
H氏 これちゃんと遊べる?
L氏 ***わかさぎ見るもん
N氏 ***ドベすぎる
  • 全体的に聞き取り率が低い
    • 「どべそべる / どべすぎる」みたいな聞き取り間違いをしている人が多い(なぜ?)
      • 以下の聞き取りの要領を教えたところ、そう聞き取れる人が増えた
        • 「***だって」は***の一部が強く読まれ、この単位でまとまって読み上げる
        • 「若いつもりで」はまとまって読み上げ、「」が強く読まれている
        • 「いるもん」で一息で読み上げている
    • どこをひと固まりとして強く言うかが聞き取りのカギなのかなあ?

聞き取り1-4

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) だからどっか(へ/に) 電車に乗って行くっていうとね、みんなが駄目だ駄目だって行かせないんだよね
SY氏 なんかどっか電車乗っていくっていうとね、みんなだめだだめだって行かせないんだよね
SW氏 なんかどっかへ...電車乗ってくと鳥見度はダブダブでかしないんだよね
A氏 だからどっかに電車に乗って行くっていうと、みんながだめだだめだって行かせないんだよね
M氏 なんかどっかに電車乗っていくって言うとねみんながだめだめだって(言っ?)て行かせないんだよね
K氏 なんか どっかい でんしゃのっていくっていうとね みんながだめだめていかせないんだよね
H氏 なんかどっか行くとき電車乗って行くとでかでかしてるんだよね
L氏 なんかどっかい、電車のって行く時ながぼかでかせか速いんだよね
N氏 なんかどっか(へ)電車乗っていくとみんなだめだめって行かせないんだよね
  • 文頭の「だから」を「なんか」と聞き取っている人が結構いる
    • [daɣəɰ] みたいな感じなのかな...?
    • 「駄目だ駄目だ」の「だ」を聞き取れている人がほとんどいない
      • 聞き直してみたところ、「だ」の母音が脱落して、dの後に開放がないように感じられた

聞き取り1-5

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) だからまる、まる何年だろうね
SY氏 まる何年だろうね
SW氏 だっ、ま、まず...なんでだろね
A氏 だからまるまる何年だろね
M氏 なんまる何年だね?
K氏 なん ま まる なんないんだもね
H氏 マル.. 何年か前に
L氏 なんまんまる、なんでやねん
N氏 まず何年か前
  • ここも「だから」を「なんか」と聞き間違っている人がいる
    • /d/と/n/が聞き分けづらいのかな?
  • 「まる」を「まず」に聞き取っている人がいる
    • ここは弾きの後に摩擦の音が入っていた

聞き取り2-1

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) 千円、千円とこしかいかないからわかんないんね  
SY氏 それ、それでどうしていいのかわかんないんだよね
A氏 せーえん(せんえん?)、せーえん(せんえん?)のとこしかいかないからわからないんだよね
M氏 しぇ,しぇ(??)どこ(orのとこ?)しかいかないからわかんないね
H氏 しぇい, しぇい どうしていいかわかんないんだよね
  • 「せん」を「しぇ」と聞き取っている人がいる
    • 音質が悪いからかな?

聞き取り2-2

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) みんな高いんみたい(よ)この辺  
SY氏 . うん、高いみたいよこの辺
A氏 んな、高いみたいよこの辺
M氏 飲むと(?)高い見てこのへん
H氏 むぃ高いところにやん
  • 文頭の「みんな」が誰も聞き取れていない
    • なぜ?
  • 「たい」を「て」に聞き取っている人がいる
    • /ai/が[e]に近い音なのかな?僕は区別できるので/e/とは区別がありそうだけれども

聞き取り2-3, 4 (省略)

聞き取り2-5

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) 全然痛くないん。ほんとに。あれでやったんかなあと思っちゃうん、ほんとに  
SY氏 ぜ、贅沢なん、(ほんとに)あれでやったかなあと思っちゃう、ほんとに
A氏 全、然痛くない。ほんとにあれでやったかなぁと思っちゃう、ほんとに
M氏 . 全然痛くない,(?),あーじゃあやったんかなとちゃんとね
H氏 あ,gentle world あ〜ちゃやったかなぁって思っちょる本当に
  • 「ないん」を「なん」で聞き取っている人がいる - 「でや」を「ちゃ」で聞き取っている人がいる

聞き取り 3-1

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) ちがう、邪魔しなくたっていい、別にいいがね、***(人名)とこいかなきゃいいんだから
Y氏 電話しなくたって別に***の所行かなくていいんだから
M氏 違う電話しなくたっていい別にいい,いいから,***とこいかなきゃいいんだから
H氏 あー出町の人って別に行かな... ***とこいかないけんけどな
  • 「邪魔」を「電話」で聞き取っている人が多い。「じぇ」と「で」がよその人には聞き分けづらいんだろうか

聞き取り 3-2RT

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) こっちも大きくすればできるんだよ
Y氏 こっちを…すればできるでしょう
M氏 あ,こっち大きくすればできるんで
H氏 6兆億千もできるんで
  • 「だよ」を全員「で」で聞き取っている
    • 「あよ」が「え」っぽく聞こえるのかな。私には「だよ」にしか聞こえなかったが、よくよく聞き返すと[dɛə]位な気もしてきた。でもglideがあるので単一の母音には聞こえない

聞き取り 3-3

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) 耳、あの耳が少し遠くなってきたから
Y氏 …を…したから
M氏 耳,あ,耳が少し遠くなっちした(?)から ( "なっちゃったからね" か? )
H氏 あー耳マスク装備したから 
  • 「なってきたから」の聞き取り率が低い
    • 特に「き」は全員が「し」に聞き取っている

聞き取り 3-4

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) ***(人名)が一生懸命心配してた、***(人名)が来ないって
Y氏 ***は言っていた***は来ないって
M氏 ***が一生懸命心配するんよ,***が来ないって
H氏 ***が一生懸命言うけぇ来ないって
  • 割とバラバラに聞き取れていなさそう?

聞き取り 3-5

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) ***(人名)なんかももしかしたら罹ってたんかもわかんないし***(人名)も罹ってたんかもわかんないし
Y氏 ***もかかったかもしれないし(前半の人もかかっている何か?)
M氏 どっちなのか,もしかしと(?),かかったんかもわからんと,***がかかったんかもわからんし
H氏 土地なんかもう有資格なんかかかったかわかんないし
  • 「かかってた」を全員「かかった」に聞き取っている
    • 「て」が開放されていない
    • 「かかった」と「かかってた」は閉鎖の長さのほかに、強い場所がどこに来るかでも聞き分けているような気がする。
      • 「かったん」 「かっ(て)たん

聞き取り 3-6, 7 省略

聞き取り 3-8

(私の発話)

文字起こし者 文字起こし
私(母方言話者) 全然出なかったんかもねそういう症状がね
Y氏 全然出なかったのかもね ...
M氏 全然出なかったんかもね,そういう症状がぁね
H氏 全然出なかったんかもね,正書法がね

3人中2人が「そういう症状がね」を聞き取れなかった

まとめ

割と多くの人が書き起こしに苦労していたので面白い。僕が聞き取れて他の人が聞き取れないのは方言差もあるかもしれないし、家族の発話を聞きなれていることもあるかもしれない。ただ、私の親族の会話はどれも知人たちは聞き取りづらそうにしていたので、一定の傾向はありそうだと思っている。

特に、以下の箇所が他地方の知人たちには聞き取りづらかったようだ。

  • 母音連続
  • 子音が開放されない箇所
  • 閉鎖子音が閉鎖されきらないとき

文字起こししてもらった人々の感想として、

  • 速い
  • 速さが一定でない

などの感想が多く上がった。 「強いところと弱いところでひとまとまりになってリズムをなす」みたいな感覚があまり他地方の人にはつかみにくかったのかもしれない。日本語に関してはほとんど強弱リズムは言及されていないように思うけれど、少なくともこの方言に関しては一定の強さで淡々と読み上げる読み上げ方はあまりされないような気がする。(ただ、思い込みかもしれない。)

ひとりアドベントカレンダーを走ってみた感想

概要

ひとりアドベントカレンダー と称して、12月に入ってから毎日ブログ記事を執筆してきた。

なぜひとりアドベントカレンダーをやっているか

友人に誘われたからだ。 年末は忙しいので断ろうとも思ったが、最近ブログ記事執筆をサボりがちだったのもあり、誘いに乗ることにした。

感想

奪われる時間面

時間が相当程度取られる。平日の退勤後と、土日をすべて突っ込めば余裕をもって行けるかと思ったが中々思うようにいかなかった。 一つ一つの記事執筆の時間が延びるのもあるし、何より年末に大量の忘年会が突っ込まれることを考慮していなかった。 そのせいで日課の運動の時間がかなり削られてしまった。

バズり面

そもそも締め切りを決めて急かされるまで書かないような記事が、反響が大きかったことはあまりない。 「これはウケる!」という自信があるネタは思い立ったときに即座に記事化しているものだ。 あまり広範囲にはウケないだろうなあと思われる記事を書き続けるのは、バズりの快感を覚えてしまった現代人の僕には少しつらかった。

記事の意義面

しかし、そういう記事を書き続けたことが無意味であったかというとあまりそうは思っていない。 F*のインストール方法の記事では実際に「F*を使おうとしてインストールで詰まっていたが、ここにある記載を見てインストールできた」との報告をくれた人がいた。 新型コロナ感染者情報のslack と discordへの通知や、 wikipediaを検索するdiscord スラッシュコマンド の記事では、簡単な実装でちょっとだけインターネットライフを便利にするアイデアを読者と共有できた。 方言の記述系の記事(両毛・足利方言の「してん」の衝突, 足利弁スキット集, 浪曲に見る言語変種の特徴など)は、言語学徒の友人や、言語研究本職の方に目を通していただけた。身に余るありがたさ、年内に言語学系の研究者の研究室を訪問させていただき、お話しをお聞きする機会をいただく運びになった。 必ずしも大勢の人に必要とされた記事ではないが、私の記事を重要だ・興味深いと思ってくださる方はいらっしゃった。 そういう情報を出し渋ってはいけないと強く感じた。

 それはそうとして

めっちゃつかれた~~~~!!!!しんどかった!運動したかった~~~!!!! 年末はひたすら運動してストレス発散します!ひとりアドカレは多分もう二度としない... でも、小さな内容の記事でも積極的に出していくことで、誰かしらの役に、あるいは未来の自分の役に立てるかもしれないというブログ記事執筆の基本を思い出た。 ひとりアドカレやってよかった!

創作自然言語バート語の読解をした

概要

の記事の続きである。 前回までで文法学習を終えたので、読解をしてみる。

読解

MIT「文をいくつか貼っていくので訳してください。」

一文目

「amáma síbha, bhámaum ghau ámaḍi ghi dákínahoná hem.」

バート語辞書バート語語形変化チートシート を参考に読解する。

辞書引き

  • amáma 連体詞で「大きい」みたいな意味らしい
  • síbha .「patria」みたいなものの主格
  • bhámaum 中国語の「咱们(聞き手を含む「私たち」)」の属格か
  • ghau 刀の主格
  • ámaḍi you sg. の後置詞格 (ということは次に後置詞がくるはず)
  • ghi 「~へ、~に」
  • dákínahoná hem 動詞 dákínúḷ (give) の受動過去分詞形にコピュラhemがついたもの。dákínúḷは多分動作動詞なので、 過去分詞にhem がついたものは完了表現。

解答

ゆーちき「「偉大なる祖国よ、我々の刀があなたに授ける」... あれ、目的格が足りない」

MIT「受動ですよ!」

ゆーちき「そっか!「偉大なる祖国よ、我々の刀があなたに授けられた」だ!」

MIT「その通りです」

二文目

MIT 「次は詩です。」

「kaikaziná bhán ápaom ṣot nautu ja kom híjadhel kádakátá sáḍi ghi dákínabohadína.」

急に長くなった。

辞書引き

  • kaikaziná
    • 辞書に載っていない... zは名詞化接辞だったはずなので、kaikúḷで辞書を引く。あった。「打ち勝つ」みたいな意味か。動詞kaikúḷzによる名詞化の複数後置詞格
  • bhán 「~を通って、~とともに」
  • ápaom 一人称単数属格
  • ṣot 多くの
  • nautu 「単語」 主格....?
  • ja ~と~
  • kom この
  • híjadhel 心の対格
  • kádakátá 動詞 kádúḷ 光る、目立つの3人称無性過去
  • sáḍi 女性の前置詞格
  • ghi 「へ」
  • dákínabohadína 動詞 dákínúḷ (give) に意志形を派生する bohがついた一人称過去

ゆーちき「nautu の格が浮いているな...?」

MIT 「jaで後ろの名詞とくっついているのでnautuは主格じゃなくて無格です」

ゆーちき「なるほど~」

解答

「困難に打ち勝つ経験を通じて、(私は)私の多くの言葉とこの心を輝かしい女性に与えるつもりだ。」か?

MIT「kaikúḷ には「困難を克服しようと 努める 」みたいな用法があること、名詞化第一は思考やそれに伴う行動を表す動詞につきがちなことから、kaikaz は結果としての「克服」よりはその過程である「努力」に焦点をあてて解釈するのがよいと考えています。努力する対象が何かという話ですが、私としては「心や言葉を人に与えられる形にすることに伴う困難」と解釈するのが綺麗かなあと思っています(kádakátá sá の性質より、与える方法が kádakátá sá の祭壇に供えるとかしかないし)。」

三文目

「cákíkakátá, rúṣán ákíjam. rízán ká hem, ákíjam. raukidhel seházíḍi cájau nám. ṣúsa nonai ṣíyá ám.」

MIT「歌の私訳です」

辞書引き

  • cákíkakátá 動詞cákíkúḷ (訪れる)の3人称無性過去
  • rúṣán 名詞rúṣ (下)の属格。ここでは「新しい」の意味
  • ákíjam 東、太陽、日 単数主格
  • rízán 明るい見通し 単数属格
  • 多義だ... k (~こと) の複数主格とか、三人称女性単数代名詞とか
  • hem コピュラ
  • raukidhel 胸 単数対格
  • seházíḍi 動詞 seházúḷ (喜んでいる) の名詞化 単数後置詞格
  • cájau ともに
  • nám 動詞 námúḷ (開く)の命令形
  • ṣúsa 空(そら)の単数主格
  • nonai 劣悪 単数具格
  • ṣíyá 動詞 ṣíyáúḷ (対格を具格とみなす) の命令形
  • ám 否定

MIT「そこのkáは、kであるべきところを単独で立たせるためにkáの形になっているものです」

解答

「来た、新しい日が。希望のそれだ、日は。胸を喜びとともに開け。空をつまらなく思うなかれ。」

なんだか集団で体が動かしたくなってくる歌詞ですね。

感想

辞書さえあればそれなりに読めるようになってきてうれしい。 それにしても、第三者がそれなりに読めるようになる程度しっかり文法書が書いてあるのはすごい...

創作自然言語バート語の文法を勉強した

概要

創作自然言語というものを知っているだろうか? 我々が普段喋っているような言葉を、プログラミング言語や数式体系などと対比させて「自然言語」と呼ぶことがある。 その「自然言語」のようなものを、あたかも劇を作ったり、歌を作ったり、小説を書いたり、ゲームを作ったりするのと同様に、創作する人々がいる。私は、この「人によって創作された自然言語」を「創作自然言語」と呼んでいる。 一般にはその界隈の人には「人工言語」と呼ばれることが多いが、プログラミング言語や何らかの符号体系も「人工言語」と呼ばれて名称が被るので、私は好んで「創作自然言語」と呼ぶことが多い。 自然言語創作と言ってもピンと来ないかもしれないが、例えば

  • この言語にはこういう語彙があり
  • この言語はこういう文法を持ち
  • この言語の動詞はこういう活用をして
  • ...

のようなものを決めて行く営みだと思えばよい。 創作物の言語がなんであるかのスタンスは創作者によってまちまちであり、例えば「ゲームや小説の中のように架空の世界に架空の民族がいて、彼らが喋っている言語」というスタンスで行う人もいれば、「この言語は我々現世の人が趣味として/何らかの目的で用いて意思疎通するためのものである」というスタンスを取るものもある。 全者の例だと「星界の紋章」という小説で、その中の民族が用いているという設定で作られたアーヴ語というものがあり、後者の例だとエスペラント語というものがある。

今回は前者のスタイルの創作自然言語のひとつである、バート語というものを勉強してみた。

バート語について

(place holder: いい感じの記事を見つけたらそこへのリンクに差し替えます)

勉強の進め方

bhátán | bhaataan を見つつ、バート語がわかるお二方(@hsjoihs氏, @MIT氏)に適宜コメントをもらった。

文法学習ログ

会話しながら学習を進めたので、そのログを整理して載せる。

Section 1. 音韻

音素と表記

まず、バート語の音素インベントリを眺める。

音素inventoryと転写法

無声/有声と無気/有気 で4対立があるらしい。なんか音声的にはインドの言語っぽさがある?そり舌音を持っているところにもそういう雰囲気がある。(ひとさまの創作物をOOっぽいとしか認知・分類できない乏しい己の知識よ...)

音声表示の左隣にあるのは転写法だろう。áíúṣṭḍḷṇ などの文字が楽に打てたいので、wincomposeというアプリで専用の入力方法を割り当てておく。 「バート語」のなので、 "b" を用いて

# Bhatan
<Multi_key> <b> <a> : "á"
<Multi_key> <b> <i> : "í"
<Multi_key> <b> <u> : "ú"
<Multi_key> <b> <t> : "ṭ"
<Multi_key> <b> <d> : "ḍ"
<Multi_key> <b> <l> : "ḷ"
<Multi_key> <b> <n> : "ṇ"
<Multi_key> <b> <s> : "ṣ"

にした。(微妙に打ちづらい...)

転写では文頭の大文字化をしないらしい。

似た音が結構あるが、僕には言い分けが難しい音がいっぱいだ。

ゆーちき「ここがミニマルペアになる語は割と少なくて言い分けられなくてもなんとかなったりしないかな...」

hsjoihs「ṣl- はまあまあマージナルで、まず現代語では「語末 -ṣlo」にしか出ず、それ以外は ṣ に合流している」

MIT「無気有気反舌の対立は結構機能負担が小さいので、多分母語話者も lexicon に寄った聞き分けをしてると思います。あと g/gh は gh[ɣ] が基本と思った方がよいはずで、これは非自明そう。l/ḷ は固有語では条件異音なので、流音は2つ説があります。」

なるほど

イントネーション

基本は文節の最後が上がり、文全体の最後は平叙文なら penultimate, antepenultimate 辺りから下がっていき、疑問文では下がった後に上がるらしい。

直観的な図が記載されていた。

イントネーションの図

私が単語と短文をいくつか読み上げてみた。

ema. ammán. nutta. rúkasa. ammama. rakkama. aṭaza. sujadína su. sujamúná su. adheṣ. heyákáṣlo? cákíkamúná síbha? káṇa nána bháma cákíkadíha hem?

hsjoihs「ataza の z は無声ですね。ほかはだいぶできていそう」

Section2. 文字

バート語の文字

これはちょっとやそっとや覚えられない... また今度覚える...

Section3. 統語論

【1-1 文構造】 関係詞以外基本的に前置修飾。動詞は語末。[格変化した名詞]* [名詞+後置詞]* 動詞 の語順をとりやすい ただし[名詞+後置詞]は動詞より後ろに来てもよい。

MIT「後置詞句の方が後ろに来るの、意識してなかったけど私の書いた文はだいたいそのように振る舞ってる気がするな https://twitter.com/mit00042/status/1591983072899055616

【1-2 品詞】 特筆することなさそうなものは省略 hem が無変化動詞枠になっていて subj を二つとるらしい。 コピュラかな。

【2 名詞と後置詞】 格: 主格 無格 対格 属格 具格 後置格 の6つ

無格ってなんだろう?なるほど、複合名詞の前半要素などに用いるらしい。 名詞の曲用: 単複で変わり、母音幹か子音幹かで変わる。辞書形は単数主格っぽい?

名詞の数・格変化

子音幹ゆーちき雑な覚え方 : 複数語尾はáであり、母音連続を避けたいところにnが入る。 母音幹が結構複雑。。。 とりあえず「産出できないけど読める」を目標に仮覚えする。

対格:el っぽい音 属格:án/hom/homá  後置詞:i 具格:そうじゃない語尾
複数 á 
母音が衝突しそうなところで子音挿入
複数属格は単数属格との音衝突を避けるために home

よし

ところで格っぽい要素より複数っぽい要素が外側にあるのか

そういえばラテン語とかもなんとなく格を表していそうな部分よりも数を後に表していそうな部分が後に来がちだな

ラテン語のfemina (女性) の複数格変化

主格 feminae
属格 feminarum <- feminasum
与格 feminis
対格 feminas
奪格 feminis

ラテン語では複数っぽい成分のsが大体最後に来ている...? いや、 属格とかは格っぽい語尾のumの方が後に来てるな。あまり傾向はないのかも。

【属格の用法】

すなおだ

【具格の用法】

さもありなん

形式名詞

  • k もの
  • ho できごと
  • díma 一般的な事柄

  • 男女混合は女性。
  • 多数性が明示されている場合は単数形
    • なるほど
  • nやmで終わる名詞の中には単数主格と単数属格が同じものがある。
    • うーん類推由来かなあ
  • ṣagh- は単数主格が ṣá
    • まあ代償延長っぽい

擬属格

形が難しいので後で覚える

Section4. 動詞

不定詞・終止・過去分詞・未来分詞・命令形 の5形があり、時制・人称・常体/丁寧体で変化する。

常体

常体

丁寧体

丁寧体

1・2人称はlaが常体語尾の前に挟まる 3人称は本来の語尾が吹き飛び、caiに置き換わる

時制まわり

  1. 名詞を修飾
  2. 単体で単純な形
  3. hemを伴って完了や過去を表す

などができるらしい。 活用表、つらい... これ丁寧形に命令がないけれど丁寧に命令したいときはどうするんだろ お願い構文があるのかな

MIT「丁寧に命令、どうなんだろ...」

ゆーちき「丁寧な命令の代わりに、お願い構文を使うとか、疑問形にするとかあるのかな」

MIT「どうなんだろ、どうなんだろな~~~~」

受動

受け身

5 以降

細かい話が多いので省略

これでなんとか文法は一通り目を通した。。。

まとめ

文法をサッと眺めたところまでの体験や感想を記事にした。 続きの学習も記事にするかもしれない。

余談

イントネーションの図

この「文節ごとに上がって、文の最後で下がる」イントネーション、どこかで見たことあるような....

あっ。これだ。

『日本の言葉シリーズ9 栃木県のことば』p. 22, 平成16年2月20日発行 明治書院 編集代表 平山輝男 栃木県編者 森下喜一

そういえば栃木弁のイントネーションもこんなんだったな。最初聴いた時は「インドっぽいイントネーションだ」って思ったので、いろんな言語でちょいちょい見られるイントネーションなのかもしれない。