両毛・足利方言の「してん」の衝突
「してん」が出てくる会話例
次の会話を読んでほしい。
A 「最近体力落ちちゃってどうしょもねんね」
B「そうなんね。俺も運動してんだけどね」
ここであなたに質問である。B氏には運動習慣があるだろうか、ないだろうか? 実は両毛地域(栃木南東部+群馬南西部)では、この会話は全く違った2種類の読みが可能である。
両毛における音変化
首都圏口語にもある音変化
首都圏口語には様々な音変化の規則がある。 たとえば、
1: 形容詞語尾の「ai」が「ee」になる
- 「高い」→「たけえ」
- 「強い」→「つええ」
2: 助詞の「の」が一部「ん」になる
- 「書くのなら」→「書くんなら」
- 「家の中」→「家ん中」
両毛独自の音変化
これに加えて、両毛だと次の縮約も起こりうる
これら3つの音変化の結果、両毛地区では以下のような形が現れることがある。
例:
- 「ないの?」→(ルール1)「ねえの?」(ルール2)→「ねえん?」(ルール3)→「ねん?」
花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えねんだなあ
さらに、「読みたい」「書きたい」の「たい」についても、以下の変化を起こしうる。
- 「たいの」→(ルール1)「てえの」(ルール2)→「てえん」(ルール3)→「てん」
以下はおーはしるい先生が連載している「あい・ターン*3」4巻の4ページ、5ページから抜粋してきたコマである。
こちらのコマは「アイドルになりたいのに」が「アイドルになりてんに」になっている。
こちらのコマでは「焼き捨ててやりたい(の)ね」が「焼き捨ててやりてんね」になっている。
会話例の共通語訳
これを踏まえた上で、くだんの会話を見てみよう。
A 「最近体力落ちちゃってどうしょもねんね
は「最近体力が落ちてしまってどうしようもない(の)ね」である。
次に
B「そうなんね。俺も運動してんだけどね」
を見てみよう。 「そうなんね。」は「そうなのね」の音変化であり、「そうだね」くらいの意味で使われる。
一方、「俺も運動してんだけどね」は2通りの解釈がある。
解釈一つ目は、共通語と同様の「俺も運動して(いる)のだけどね」だ。「運動しているのだけれど、中々体力が増さないね」と続くような会話だ。
解釈二つ目は「俺も運動したいのだけどね」だ。「運動したいのだけれど、実際は行動に及んでいない」と続く。
運動をもうしているのか、まだしていないのか、意味が全く異なってしまう。読者の皆さんは二つの可能性に気づけただろうか?
「-てん」が被る例と被らない例
サ変動詞では「~たい」と「~ている」が「~てん」の形で衝突しうることは確認した。 では他の種類の動詞ではどうだろうか。活用の種類によって被るものと被らないものがある。
活用表を見ながら確認していく。
動詞 | ~しているのだ | ~したいのだ | 備考 |
---|---|---|---|
来る | き\てんだ | きて\んだ | アクセントが違う |
アクセント違いにより被らない。
五段動詞
動詞 | ~しているの | ~したいの | 備考 |
---|---|---|---|
会う | 会ってんだ | 会いてんだ | |
聞く | 聞いてんだ | 聞きてんだ | |
行く | 行ってんだ | 行きてんだ | |
嗅ぐ | 嗅いでんだ | 嗅ぎてんだ | |
指す | 指\してんだ | 指して\んだ | アクセントが違う |
殺す | 殺して\んだ | 殺して\んだ | 被り |
立つ | 立ってんだ | 立ちてんだ | |
死ぬ | 死んでんだ | 死にてんだ | |
呼ぶ | 呼んでんだ | 呼びてんだ | |
噛む | 噛んでんだ | 噛みてんだ | |
取る | 取ってんだ | 取りてんだ |
サ行五段以外は被らない。
一段動詞
動詞 | ~しているの | ~したいの | 備考 |
---|---|---|---|
見る | 見\てんだ | 見て\んだ | アクセント違い |
煮る | 煮て\んだ | 煮て\んだ | 被り |
アクセントによっては被らないが、基本被る。
まとめ
足利をはじめとする両毛地域では、東京とは違った音変化の法則を持っており、そのせいで全く違った文末表現が同じ形になってしまいうる。 他の地域のこういう現象も気になるので、どういう現象が起こるのか、そこから生じる不便をどう回避しているのかなどを聞いてみたい。