モーラの話
この記事は
語学/言語学/人工言語合同 Advent Calendar 2017 - Adventar
の16日目*1の記事です。
モーラとは何か?
ふゆやすみ いちにちへやで ねてすごす
これは575だろうか?イエス。 では何が5で、何が7で、何が5なのだろうか。我々は一体何を数えて5だの7だの言っているのだろうか。 仮名の数? 本当にそうだろうか。 例えば次の例はどうだろう。
かちゃかちゃと シェルでたたくぜ しゅくしゅくと
これは575であるが、仮名の数は786である。 我々は仮名を数えているわけではなさそうだ。ローマ字で書いて見ると少しはヒントになるかもしれない。
Kachakachato sherudetatakuze shukushukuto
この中に現れる母音の個数を数えると575である。なるほど、我々は母音の個数を数えていたようだ。 あるいは、「ひとつの母音とその母音にくっつく子音」をひとまとまりにして「音節」と呼ぶことにすれば、我々は音節の数を数えているのだとも言える。 この例は以下のように音節に分解できる。
ka.cha.ka.cha.to she.ru.de.ta.ta.ku.ze shu.ku.shu.ku.to
ピリオドが音節の区切りである。 それでは次の例はどうだろうか
にっぽんに はんこぺったん ぺったんこ
nip.pon.ni han.ko.pet.tan pet.tan.ko
これは仮名の数は575である。が、母音数(=音節数)は343しかない。数えやすいように音節への分解の一例をローマ字で示した。 どうやら我々が数えているものは仮名の数でも音節の数でもないらしい。 しかし、上述の諸例は確かに「575」であるはずだ。 声に出してみると、確かに何かが5つ、7つ、また5つ通り過ぎる。 我々は確かに何かを「1単位」と感じており、その個数を数えて5だの7だの言っている。 言語学では、この仮名でも音節でもない感覚上の長さの単位をモーラと呼ぶことにしている。
日本語のモーラ
何がモーラであるか?
どのような物が1モーラであるかを確認することは比較的容易だ。 多くの日本語母語話者はモーラを「数える」ことができるからだ。適当な文章を作ってみて、指を折りながらモーラを「数えて」 ゆき、どこで自分が「1」と指を折ったか確認していけばよい。
実験すると以下のものがモーラを形成することがわかる。
- (子音 or なし)+(半母音 or なし)+(短母音 or 長母音の前半部分 or 二重母音の前半部分)
- 撥音「ん」
- 促音 「っ」
- 長母音の後半部分「ー」
- 二重母音の後半部分
ここでいう「二重母音」とは「ai」「oi」など、短母音が2つ連続してひとつの母音になっているものである。 そのまま短母音が2つあるとみなしても良いのだが、アクセントの振る舞いに関する説明などで便利なことが多いので「ニ重母音がひとつある」という捉え方をしたりするのだ。
モーラはどのような性質を持つか?
少なくとも日本語話者にとっての心理的な計測単位であることは間違いない。他にどのような特徴を持つのか?
各モーラの長さは概ね等しい
ここでいう「長さ」とは、そのモーラを撥音するのに要する物理的な継続時間のことである。 実際に音声を分析すれば長さを計測することができる。
アクセントの位置を決定する
日本語のアクセントについてはごく短い補足記事で説明した。
日本語のアクセント核について - Amosapientiam
アクセントは語によると言っても、ある程度の基本パターンは存在する。 日本語の場合「後ろから三番目のモーラ」にアクセントが置かれることが多い。 それを確認するために幾つか例を出したいのだが、言語一般の話として日常語や短い語は不規則な性質を示すことが多い。 また日本語では複合語は特別なアクセント規則に従う。そのため以下では日常での使用頻度が少ない外来語を例とした。
オリエント トリエステ イスタンブール バグダード キルクーク キャロライン エスコート トリオナール パピリウス レキシコン サルマティア ディグナトゥル コンバイン アイネクライネナハトムジーク ...
コンバイン キルクーク
などの例から音節ではなくモーラを数えていることがわかるだろう。
英語のモーラ
前節では日本語のモーラに触れた。ところで、モーラ概念は日本語に特有なものだろうか?いや、そうではない。 外語の例として、多くの日本人にとって最も馴染み深い外来語である英語を取り上げてそのモーラについて記述する。
何が何モーラであるか?
以下のものが以下のモーラ数を持つ。
種類 | モーラ数 |
---|---|
音節頭子音群 | 0 |
短母音 | 1 |
長母音・ニ重母音 | 2 |
音節末子音群 | 1 |
実際の英単語を例に取る。
単語 | 音節頭子音群 | 母音 | 音節末子音群 | 合計モーラ数 |
---|---|---|---|---|
cat | 0(c) | 1(a) | 1(a) | 2 |
no | 0(n) | 2(o) | 0 | 2 |
key | 0(k) | 2(ey) | 0 | 2 |
sail | 0(s) | 2(ai) | 1(l) | 3 |
the | 0(th) | 1(e) | 0 | 1 |
モーラはどのような性質を持つか?
日本語のモーラとは違い、英語話者にとってモーラは心理的な単位として自覚されていないことが多い。 各モーラが等しい長さを持つとも限らない。では、英語においてモーラを設定することで何が説明できるのか?
最小性制約
英語には /kǽt/, /hάt/ /séd/ という音の並びからなる単語は存在しうる。 (事実、cat. hot, saidという単語が存在している) しかし /kǽ/, /hά/ /sé/という音の列びからなる単語は存在し得ない。なぜか? 母音で終わるのが禁止されている?いや、/vjúː/ , /síː/ などの単語(view, sea)は堂々と母音で終わっている。 モーラの概念を用いると、この音素配列上の制約を以下のように簡潔に表現できる。
- 英語では強勢を持つ音節は2モーラ以上でなけれなばならない。
造語、略語を作る際にもこの原則に抗うことはできない。 例えばbrother /brʌ́ðər/ の略語・愛称形broは /brʌ́/ ではなく/bróʊ/と発音される。
最大性制約
英語では語末音節を除き、3モーラ以上の音節は避けられることがある。
以下は3モーラの語末音節を持つ語と、その派生語の表である。 母音が規則的に短縮し、該当音節が2モーラに圧縮されていることがわかる。
語末 | 語中 |
---|---|
produce | production |
prime | primitive |
pronounce | pronunciation |
アクセントの位置を決定する
英語には語頭にアクセントを置くゲルマン語由来の語の規則、語末にアクセントを置くフランス語由来の語の規則など、様々な要素が影響しアクセント規則は複雑である。
その中でも「語末から3番めの要素」にアクセントを置くグループがある。 少し複雑だが、以下の手続きによりアクセント位置が決定する。
- 語末の1音節を除く
- 語末の1モーラを除く
- 語末のモーラを含む音節にアクセントを付与する
例を示す。
architect balcony Constantinople destination amalgam veranda
実は、このアクセント位置の決定法はラテン語の単語のアクセント位置の決定法と同じである。
まとめ
モーラの概念について日本語と英語を例に取り説明した。 音素・音節概念などと比べると軽視されがちだが、このように音素配列の制約やアクセント位置の決定に深く関与している。
関連事項
なぜ「後ろから3番目」にアクセントが付与されるのか、英語の第二アクセント、第三アクセント以降はどのように決定されるのかなどは韻脚論によってある程度説明できるので興味のある人は是非調べてみて欲しい。 また、 「後ろから3番め」は「antepenult」でググると検索しやすいかもしれない。
*1:「寝るまでは今日」 -コレチアの古諺